ナチュラルライフサポートブログ

フランシスコ

ローマ教皇フランシスコが来日されましたね。

新聞やテレビなどでもずいぶん大きく取り上げられ、核廃絶への言及などで関心を持たれた方も多いのじゃないでしょうか。

私は東京ドームでのミサへ参加してきました。

宗教について触れるのは控えめにと思うのですが、今回は信仰のある人もない人もカトリック教会、あるいはキリスト教というものに興味を覚えた方も多いと思いますので、少し書かせてもらいますね。

 

八十才を過ぎてロックスターにも例えられる教皇です。

熱烈な信者が大挙してミサに訪れるというからどうなのだろうと行ってみるとそのとおり、この日本の東京にも五万人もの人が集まりました。

私の所属する相模原市緑区の津久井カトリック教会からは四十名ほどが、これに合わせた旅行会社のツアーから参加しました。

カトリック教会にはそれぞれ守護聖人という方が定められていまして、敷地内のどこかに像が設置されていることが多いのですが、津久井は教皇のそれと同じ、アシジの聖フランシスコです。生涯弱者と共にあったというとても尊敬され親しまれている聖人ですね。なんだかご縁を感じます。

なぜこれほどフランシスコ教皇が人気があるかといいますと、報道でも様々取り上げられていましたが、彼は「貧者のための教会」と言い、あらゆる差別や偏見、分断と対立をなくそうと訴えます。そして自らも質素な生活を好んで、人々と触れ合うことを楽しみにしておられる、親しみやすいお人柄であることが第一でしょう。そして司祭になって最初に赴任地を希望したのは日本だったというくらいに日本には大変な関心を持っておられます。それは、キリスト教が弾圧を受けて司祭不在になった後でも信仰を守り続けたキリシタンたちの国であり、世界で唯一の被爆国でもあるからだそうです。

 

話しは少し教皇から離れてしまいますが、私が所属する津久井カトリック教会には、長崎の隠れキリシタンの末裔であろうという方々がいます。

であろう、というのはご本人たちがあまりそのことを積極的に語ろうとはなさらないためですが、この方たちと、地元津久井の数名の信者たちが集まって、「集会祭儀」と呼ばれる司祭のいない伝承儀式を執り行うことから「教会」が始まったのだそうです。

津久井カトリック教会は、津久井湖を見下ろす山間にあって、山小屋風の建物やステンドグラスが美しいと人気があり、ずいぶん遠方からはるばる来られる方も多くいます。

レインツリーでは併設するばらの花幼稚園と教会の、植栽や芝の管理をさせていただいています。

数名で始まった教会も次第に人が増えていき、ついには土地と建物、それに念願の司祭を迎えて「ミサ」を執り行うことができるようになります。

今では毎週のミサに五十名からの方々が集うようになりましたが、片田舎の小さな教会です。一時期は常任司祭がおらず、時折この集会祭儀が行われました。

私がこの教会に訪れたのはちょうどそんな頃で、とても貴重な経験をさせていただきました。

 

ミサに登場したフランシスコ教皇は、東京ドームのセンターの位置に設置された祭壇裏のゲートから、この日のために作られた聖歌「すべてのいのちを守るため」を特設聖歌隊が奏でるなか、特注のトヨタのオープンカーに乗って現れました。

私たちは一階のアルプス席でしたので、その様子はよく見ることができました。

そしてあの笑顔で、時折小さな子供にキスしたりしながら周回する様子は報道でも流れていましたね。

日本とバチカン市国の国旗が振られるなか、拍手と喝采で迎えられた教皇が祭壇にのぼります。「父と子と聖霊のみ名によって」とラテン語でミサの開始を告げると、私たちも一緒に十字架のしるしを胸の前になぞります。教皇にあの笑顔はなく、大変集中しておられるように見えました。

 

私がこの教皇ミサに参加してまずうれしかったのは、世界中に十三億人といわれるカトリック信者の人たちと「つながっている」と実感できたことです。

毎日曜日に与る津久井の片田舎の教会でのミサが、教皇のたてるミサと、当然そうでなければならないわけですが、あらためて同じなんだと確認できたこと、そしてここには五万人の信者が詰めかけていますが、日本に於いては、他のキリスト教宗派を合わせても一パーセントに満たないといいますから、百人に一人いるかいないかの信者の一人に加えていただいている、そのことにまず驚きですし、家族や友人の誰も知らない自分だけのお宝をこっそり机の引き出しの奥にしまっている少年のように、わずかな優越感とうしろめたさに似たそんな感覚もまた愉しく感じるのですね。

信者とひとことで言いますが、教会では「洗礼」を受けていないと信者とは認められません。私はカトリックで改めて洗礼は受けませんでした。前のプロテスタント教会で受けた洗礼が認められたからです。その洗礼の儀式とは、教会の祭壇の下に設えた水を張った槽へ牧師と一緒にざぶんと漬かるというか潜るというか、そんなかなりきわどいものでした。カトリックの場合は、傾けた頭のこめかみの辺りに聖水をそおっと滴らすだけです。

その代わりに献身式というものに復活前夜祭のミサのなかで与りました。

カトリック信者になりますと、苗字と名前の間に挟まるかたちで信者であることを表す名前が与えられます。フランシスコ教皇に安倍首相が、あなたと同じ名前だと麻生大臣を紹介したそうですね。あの方はおそらく生まれて間もなくの幼児洗礼だと思うのですが、プロテスタントなど他の宗派のほとんどでは子供時分に洗礼は授けないことになっているようです。

そしてその名前は自分で決めていいのですが、歴代の諸聖人の中から選ぶことになっています。私は当日まで思いつかなくて、というより、それにあまり興味がなく、やや不貞腐れ気味に、本当にこれでいいのだろうかと半分逃げ出したいような心持ちになっていたのですが、ちょうどその日に式を執り行うために来られた司祭が教区の重責にある立場の方だそうで、福祉を担当していると聞き、ああやはりこれはお導き、ご縁だと思い、腹が決まりました。司祭のそれを尋ねると、「洗礼者ヨハネ」だというのでそれにしました。

この名前をつけようと思う方はあまり多くないかもしれませんね。その人の最後は反逆者として捕らえられての斬首でしたし、生前はらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べ、人々に悔い改めろと迫り、ヨルダン川で人々に洗礼を授けるという、とても「普通の聖人」ではなかったようですから。ただこの人の偉いところは、神の国とイエスの到来を預言し、自分はその方の履物をお脱がせする値打ちもないと謙虚であり、それを信じて疑わず、この世の権力者に媚びることもなく、死ぬまで一途であり続けたことでしょうか。

この方が私の守護聖人となってくださったわけです。ありがたいことです。

 

日本を離れるときの機内でフランシスコ教皇は、この東京ドームでのミサのことを、「日本人があんなに騒ぐとは思わなかった、びっくりした」と語られたそうですが、私も驚きました。

教会に行き始めた頃、ある神父に尋ねました。「カトリックの人たちは明るいですね」と。神父は答えました。「禁教が解かれて、司祭らがまず初めに訪れたのは貧しい農民や漁師たちです。その人たちのところで酒を酌み交わしたのです」と。

それを聞いて、ああおれもこれであのキリシタンの人たちとつながったんだろうかと思うと、うれしくなりましたね。

 

この日の翌日の夜から熱が出まして、丸三日寝て過ごしました。

高熱はつらかったけれど、このところ何かと忙しく時間もなく体もきつかったので、いろんなことを考えたりする時間をたっぷりといただけたのは、これも神様の恵みだなと思いました。

 

12月に入り、今日からカトリック教会の典礼暦は「待降節」に入りました。降誕祭(クリスマス)までをそう呼びます。

私の所属する津久井カトリック教会でも、入口にはクリスマスリースが飾られ、祭壇にはポインセチア、それにミニチュアの馬小屋と赤ちゃんを寝かせるベッドが置かれたりしました。イタリアのクリスマスのお菓子「パンドーロ」が届いたそうで、買って帰りました。

24日は日本中の教会で夜半ミサが行われるはずです。

もちろん信者でない方も歓迎ですので、ぜひ皆さん、この機会に教会を訪れてみてはいかがですか。