ナチュラルライフサポートブログ

セラピー犬

新年あけましておめでとうございます。

今年一年がよい年でありますように祈ります。

毎年そのように祈るわけですが、さて昨年はどうだったかと振り返ってみますと、まずまずの一年だったように思います。

会社の方は、スタッフが安定しないなかでも業績はまずまず。

夏以降は私も現場の応援にと大忙しで大変でしたが、そのおかげでいろんな課題が見えたりして、それも必然だったんだなと思っています。

今年はそれらの課題にしっかりと取り組んで、足場を固める年にしたいですね。

 

プライベートでは一昨年末に大きな決断をしまして、生活が一変しました。

一年かけてようやく心も体もこの暮らしに馴染んできたところです。

この秋に、長年連れ添った犬が亡くなりました。

その二か月前には、同居を始めたばかりの犬が亡くなったところでした。

まるでその子を追いかけるように、逝ってしまいましたね。

推定十四歳の牝、ゴールデンレトリーバーと小型の和犬の混血と思われますが、愛嬌のあるくりくりした丸い目と、折れた片方の耳、それにやや左に傾いた尻尾が下半身に集中した毛によってまるで船の帆のようでした。

純血にはない、ちょっと残念な、まさにオンリーワンな犬でした。

 

いろんな事情で保護された犬の面倒を見ているNPOからもらい受けた犬です。

その家には何匹もの犬が、引き取られていく束の間の共同生活をしていました。

フウガという名のその犬の、一見ゴールデンレトリーバーのような見た目に惹かれて決めました。

その団体では時折里親を募集するイベントなどを開催して、これまでも何匹もの犬を引き取ってくれる人につなげてきたそうです。

フウガはそのなかの売れ残りの一匹で、そろそろタイムリミットの推定三歳になることから、切羽詰まった状況でもありました。このまま団体で面倒を見続けることになるのかとあきらめかけていたところだったというのです。

ルックスは悪くないのに性格が悪くて売れ残ったなら自業自得ともいえるのですが、フウガは人懐こくて穏やかな性格に見えました。媚びるでもはしゃぐでもない、緊張して警戒するでもない、リラックスしている様子が気に入りました。

その団体の方の話では、留守番ができない、首輪でつないでゲージに入れておくことができないのが、里親の現れなかった理由だとの説明でした。

そこでまずお試しに飼ってみ、だめだったときは引き取ってもらえることを条件に連れて帰ることになりました。鉄製の頑丈な折り畳み式のゲージをお土産に。

人を噛んだり吠えたりしないことはお墨付きでしたし、とても人懐こく、誰にでもすぐにおなかを見せてしまうような犬でしたので、事業所にはぴったりだと思いました。

当時私は、所属するキリスト教会の牧師が運営するNPO法人で、今のレインツリーの前身の就労支援事業を始めたばかりでした。

その教会で洗礼を受け、クリスチャンになった私は、牧師に私のやりたいこと、思いのたけを打ち明けました。

意気投合し、認知症高齢者向けのグループホームを運営するそのNPO法人の下でやらせていただけることになりました。

最初は、会社を経営するその教会の信者の方から、今は使っていない事務所兼倉庫があると聞いて、そちらをお借りすることにしました。

印刷会社でしたので、そうした機器類を洗浄する仕事もやらせていただきました。

そのうちに、教会が近くに土地を得て、新しい教会堂を建てましたので、その古い方の教会堂を使わせていただけることになりました。

それらのことが次々と起こるので、ああ神様が支えてくれていると心底私は感激し感謝したものです。

しかし事業所の運営はそんなに甘くはありませんでした。

私自身にノウハウもなく、数名の利用者さんたちとひたすら庭仕事と印刷機器の洗浄に汗する毎日でした。

どうしたら利用者さんを増やせるだろうか、それはもう死活問題になり始めていました。

そこで出てきたのが、セラピー犬です。

セラピー犬を売りにできないかと考えたのです。

幸いその新しい事業所は自宅のすぐそばでした。

その犬と一緒に歩いて通勤すれば難なくできると思いました。

しかし問題は何といってもそんな犬がいるかです。

しかも私にそんな犬の面倒が見られるでしょうか?

犬を飼った経験は、高校生の頃に道端で車に轢かれそうになっていた子犬を拾い上げて飼ったその一回だけです。

それも家を出るまでの数年で、あとは父親に任せることになりましたから、経験のうちにも入りません。

そもそも事業所に犬を置くことが事業所の魅力アップや利用者の支援になるとしたら、ただの犬ではだめです。セラピー犬でなければならない。

セラピー犬と呼ばれるには、一定の訓練なり試験に合格するなどという手続きが必要なのでしょうね。

それにその犬を扱う人間にもそれなりの知識と経験に基づく資格などが与えられるはずです。

しかしそうした地道で計画的に事を進める心の余裕も経済的な余裕もない当時の私は、いつものように後先あまり考えません。

クリスチャンになってからは、その根拠のない自信は揺るぎないものに変わりつつありました。

 

現在の私に、もしスタッフの誰かがセラピー犬を事業所で飼いたいなどと言ったら、どうするでしょう。

そういう突拍子もない話を面白がりもし、そのスタッフの心意気に感動を覚えるかもしれません。

しかし犬は犬です。もしも利用者さんに噛み付いたりしたらどうする、利用者さんによっては不可解な行動で、普段おとなしい犬も警戒したりしないだろうか、そんな犬を何処に置いて誰が管理する、犬が苦手な人もいるだろう、魅力に映るどころか不信の目で見られないか、云々。

そうしてやんわりとこの話はなかったことにしてしまうでしょうね。

 

結果としては大成功だったと思います。

アロマと名付けられたこの犬を目当てに来られる利用者さんもいましたし、アロマは事業所に馴染んで、なければならない存在になっていきました。

アロマは誰が教えたわけでもないのに、落ち込んでいたりする人のところへ行って鼻を近づけたりするのです。

多くの利用者さんがそんな経験をして、アロマから癒されたり励まされたりしたそうです。

でもやはりそうなるまでは苦労しました。

留守番ができないのは本当でした。

ちょっと目を離すと、窓をこじ開けて外へ走って行ってしまいまい、そこら中のごみをあさったりします。

リードにつないでも噛み切ってしまいます。

ゲージに入れるとまるで狂ったようになって犬が変わってしまいました。

せっかくお土産にいただいた鉄製の丈夫なゲージでしたが、ここに入れるのはこの子にも自分にも無理だと悟った私は、この子をこのままで飼うのは不可能なので、変わるように躾けることにしました。

テレビチャンピオンという番組で「犬の躾け王」に輝いた人の、犬の躾け方ビデオを見てその通りに実践してみました。

それは、リードと首輪は犬をコントロールするものではなくて、飼い主と犬とのコミュニケーションの道具という考え方から出てくるもので、犬が自分勝手なというか本能で動こうとするのを、飼い主がそれを時間をかけて改めさせていくのです。

たとえば散歩のとき、自分の行きたいところに飼い主を引っ張ってでも行こうとするとき、ぴんと張ったリードへ、ぴしっと力を込めて首輪に衝撃を与えるのです。

そうすると犬はびっくりします。何が起きたんだというようにおろおろして怯えたようになります。そこですかさず犬を正面から抱くようにして、毛並みと反対方向に体をさすります。「よしよし」と声をかけながら。それを長い時間、犬が落ち着くまで続けます。それを繰り返すだけ。自分勝手なことをしたら、ぴしっ、ハグハグ。飼い主の言うことを聞かなければ、ぴしっ、ハグハグ。ごみをあさるなどいけないことをしたら、ぴしっ、ハグハグ。

なんだか人間の子育てにも応用できそうじゃないですか。

やはりチャンピオンのようにはうまくいかないので、途中で何度もあきらめそうになりましたが、やがてアロマは飼い主が哀れに思えたのか、おとなしいいい子に変わってくれました。

獣医さんの話だと子供を産んだこともあるようで、保健所に保護されるまでどんなふうに生きてきたのか、つらい経験をしてきた犬だから、人のつらさにも共感できるのか、生物学的なことは私にはわかりませんが、アロマにはそんな素質が備わっていたように思います。

 

レインツリーに移ってからも、皆を見守り続けたアロマでしたが、歳のせいか、時折我に返ったように事業所を抜け出してどこかへ行ってしまうことが何度かあって、私もいよいよリスクマネジメントの観点からアロマを引退させることに決めました。

そうして惜しまれながら現役引退したセラピー犬は、唯一のクライエントである飼い主を癒すことに専念し、一昨年私と二人きりになってからは、朝夕の散歩と食事の時以外はほとんど寝て暮らし、その余生をこのまま静かに穏やかに送っていくのかと思われたのですが、ある時、小さなお客様が初めてこの家に来て、せわしなくあちこち駆けずり回ったかと思うと、子供のように大きな声で啼くは、片足上げて小便はするは、やりたい放題やっていなくなりました。その後も何度かやって来て、やりたい放題し、それでもアロマには一目置いている風で、様子をうかがっている。そのうちにとうとう帰らなくなり、飼い主はその子のためにアロマが事業所で使っていたベッドを与えたりしている。

そうして共同生活が始まったのですが、ドンちゃんと呼ばれるその小さい雄はビーグル犬が躾けをされないとこうなるのかという見本のようで、まさに本能のままに生きているといった感じ。過去にこの飼い主は何度も噛まれているし、私も後日それを目撃することになるのですが、静かで穏やかな暮らしは一変し、緊張と刺激に満ちた生活が始まったのです。

この犬もアロマにしたように躾けてみるかとも思ったのですが、そのためには多少噛まれることも覚悟しないといけなさそうだし、それよりも、歳は十六で、人間でいうなら百歳近いわけだし、喉には大きな腫瘍があって、もういつ逝ってもおかしくないというのだから、そんな犬にいまさら躾けるなどというのは、虐待以外の何物でもないだろうと思い、現実をただ受け入れることにしました。

しかし飼い主によると、この子がこんな風に自分以外の人と他の犬に懐くなんてことは奇跡としか思えないということだったので、これも神様の思し召しと納得し、ホームセンターで犬用のおむつと新しいハーネスを購入することにしました。

それまで寝てばかりいたアロマが、ドンちゃんと一緒に新しい主人を追いかけまわします。おやつをくれるからです。甲高い声で啼くアロマの声を聞いたのはこの子に初めて会った頃以来かもしれません。

散歩ではドンちゃんのように行きたいところに行ってもいいのです。他の犬に吠えたり、木の根をほじって食べたりしても叱られません。

そのようにしてアロマは次第に本来の自分を取り戻していくように見えました。

私とのあの静かな生活はこの子にとって何だったのだろうと、少し複雑な気持ちになりましたが。 

でもそれはそれほど長くは続きませんでした。

ドンちゃんの喉の腫瘍は日に日に大きくなっていき、そのうちに首が傾いて、声が出なくなってしまいました。

歩けなくなって、片足上げて小便もできなくなりました。

食べられなくなって、さらに痩せて小さくなっていき、残暑の朝の光が差し込む中、長年面倒を見てくれた主人の腕の中で息を引き取りました。

 

アロマはそれからほどなく、ほとんど歩かないようになりました。

関節炎の炎症を抑える薬を獣医から処方されましたが、あまり効果はありませんでした。

家の中で小便をしてしまい、いよいよこの子もおむつかと思っていたら続かなかったので、床に敷いたトイレシート用のトレイは壁に立てかけておくようにしました。

それからあまり餌を食べないようになり、歳のせいだし、こうやって少しづつ枯れていくのだろう、夜泣きなどしたりするようにならなければいいが、などと思っていました。

アロマは時々何かを思い出したように立ち上がり、よちよちと玄関の方へ行ってはしばらく立ち止まって何かを考えているようなときがありました。

ドンちゃんを探しているんだと私たちは思いました。

ある夜、階段下で物音がして、私は目が覚めました。

アロマはいつものようにベッドに丸まって眠っているようでした。顔をおなかに当てているので見えませんでしたが、起きているような気がしました。寝たふりをしているような。

それはトイレシート用のトレイが倒れた音でした。

ドンちゃんと遊んでいたんだと私は思いました。

 

その数日後、アロマは朝からいつもと呼吸が違っていました。

深―い呼吸をゆっくりとしていました。

そんなアロマが気になったのですが、土曜日だったので、私たちは朝から外出しました。

昼過ぎに戻った時、アロマ息をしていませんでした。

ずいぶん急いで逝っちゃったなあと私は思いました。

ドンちゃんが迎えに来たんじゃ仕方ないかと。

この飼い主もどうやら大丈夫そうだし、と見切りをつけたのかもしれません。

 

二匹とも今は、骨壺に入ってリビングのテレビの横の目立つところに置かれています。

今年の春あたりに、庭に穴を掘って埋め、鉢植えのバラをそこへ植えようかと考えています。

 

 

写真:元旦のミサの後で。今年もよろしくお願いいたします。