ナチュラルライフサポートブログ

PRAY Ⅱ

新緑の季節ですね。

山々がふんわりと薄緑に、そのなかに薄紫も混じったりして、華やいできました。

川沿いの桜の土手をいつものように歩きながら、この景色も見納めかもしれないなどと陶酔することしばしこの頃です。

もしも自分がこれにかかったら、そっとしておいてほしいのです。

ベッドがないなら家にいるし、呼吸器がないならどうぞ他の人にまわしてほしい。

今頃になってマスクを配るなんていいから、最前線で戦っている人々に国からの感謝のしるしとしてボーナスを支給したらどうだ。

などと厭世気分がもたげてきます。

苦しいのは嫌だけれど、意識が混沌とする中であなたにお会いできるのなら、嬉しい。

もう存分に生きました。悔いはありません。

今これで死ぬのも、数年先に別の病か何かで死ぬのも大差ないでしょう。

致死率が数パーセントなら、ほとんどの人は死なないわけだ。

しかし残念ながらというべきか、私たちは皆いずれは死ぬのです。致死率は百パーセントです。

存分に生きたと言える私は幸せなんだろうなと思います。

子供達にはもっと生かしてあげたい、そう思います。

でも、やっとこの時が来たか、などと終末願望がもたげてくるのを抑えるのが大変です。なんとも悪い癖だ。

 

我社は今のところ、収益面で大きな影響はありませんが、この先は分かりませんね。

生き残るためにあれこれと対策を練って実行していかなければなりません。

経営者として、社員の生活を守らなければいけませんし、厚生労働省や自治体からの情報に従って、福祉サービス事業所として、利用者への最善を尽くさなければなりません。

甘美な最期などを妄想している場合ではないのです。

様々な障害を持つ利用者の多くは、環境の変化が苦手です。

自粛の意味が分からないうえに、いつもと違うことが行われたり求められたりすることに、我慢ができなかったりする方も多いのです。

それでも嬉しいのは、ほとんどの方が、仕事をしたい、皆に会いたいと言って、レインツリーに来ることを止めようとしません。

皆にとって生きていくための大事な場所になっているんだなと改めて知らされます。

いっそクローズしてしまえば気が楽なところもあるのですが、それでは皆のことが心配です。

やることがなく、かえって街をふらついてしまったりするんじゃないかとか、パニックを起こしたり、調子を崩してしまったりしたら、面倒を見るご家族のことも心配です。

いわゆる三密を避けるために、午前と午後に分けて通所してもらうことを始めています。

喘息や糖尿などの基礎疾患のある方は、在宅支援へ切り替えました。

自宅で、クラフト製品の製作にかかわる仕事をしてもらっています。

いつもなら、そうして出来上がった製品はイベントなどへ参加して販売させていただくのですが、それもどうなることやら。

毎回、驚くほど多くのお客様にお越しいただき、驚きやお褒めの言葉をいただくほどですから、これを機に、かねてより企画に上がっていた通販を開始しようと真剣に考え始めたところです。

今のところ、ガーデニングの仕事は変わりなく続けられています。

今年はいつもの年よりも草花が動き出すのが早いようで、もうすでにお客様のお庭も雑草がいっぱいです。

常緑樹の中には、この時期に大量に葉を落とす種類もあったりして、そうした落ち葉の掃除など、庭仕事にはきりがありません。

それにそうして仕事をさせていただきながら、季節の移り変わりや植物など生き物の命の躍動を感じ、適度な運動にもなって、自律神経が整ったり免疫力が上がったりと、良いことだらけなのですから、申し訳ないくらいです。

私たちが伺わなければ、大切なお庭が荒れていってしまい、それをどうすることもできないご高齢のお客様などもおられますから、できる限り伺いたいのです。

電球を替えてくれない?などと頼まれたりすることもありました。

他にも様々身の回りのことなど、私たちにお手伝いできることもあるはずなので、「見守りサービス」のようなものを訪問ヘルプサービス事業者と連携してやってみたらどうだろう、などと考えを巡らせています。

 

もともとオタク気質な私ですから、外出禁止と言われてもさほど苦にならず、そうなったらゆっくりと読みたかった本でも読んで過ごしたいと、不謹慎ながら少し楽しみにしてもいたのですが、どうも神様はそんなことはさせてはくれないようです。

「さあどうするんだ?」と意地の悪い声が聞こえてくるようです。

 

一度立ち止まって、本質に立ち返るいいチャンスなのかもしれませんね。

国も、地域も、私たち個人も、あらゆる制度や習慣や、本当に大切なものは何なのか、見直してみるいい機会かもしれません。

終末はきっとまだ来ないし、これもやがていつか収束する時が来るのでしょう。

その時に、また少し変わった自分や周囲を見つけられたらいいし、まだ生き続けたいと思えるような世界が、そこにあってほしいと願っています。