「津久井やまゆり園」の事件からもう5年だそうです。
障がい者福祉に携わるものとして、また地元相模原で起きたこともであって、その後の関係する新聞記事などには注意深く目を通してきました。
今回、新園舎が元の場所に再建されたとのこと。
戻って来る方もいれば、地域のグループホームなどに生活を移した方などもいらっしゃるようです。
記念碑が建立され、犠牲者のお名前も刻まれたとか。
これまでは、これほど近くにいながらどうしても足を運ぶ気になれなかったのですが、この機に一度訪れてみようかと思っています。
お名前が刻まれることを望まなかったご家族が多くいらっしゃったことに、また色々なことを考えさせられます。
あくまで匿名のままでいなければならないのには多くの複雑なご事情があるのでしょうし、一連のことに対する無言の訴えのようにも聞こえてきます。
少し前まで私は、こうした施設などは「必要悪」だと考えてきました。
私たちの「作業所」もそうです。
障がい者の方々も一般企業で働き、地域社会の一員として分け隔てなく生活できるようになるべきだけれど、残念ながら日本はまだその素地ができていないから今はこうした場所が必要なのだ、と。
しかし、やまゆり園で被害にあわれた方のご家族の、「これからも施設に入れた負い目を背負って生きていきます」とのコメントは私には衝撃で、浅はかな考えを改めるきっかけにもなりました。
「自分たちで面倒を見なければいけなかったのに施設に入れてしまった」というご家族の思いは切ないですね。
障がい者を産んだのは自分の責任と考える母親が少なくないと聞きます。
離婚をしてお一人で育ててこられたという方が、私たちの利用者さんの保護者にもおられます。
障がい者に限らず、ご高齢の親の介護などもそうですが、身内がするべきという価値観がまだまだ根強いのでしょうか。
この「家」と「血縁」と「土地」に対する私たちの感覚が変わらない限り、身内に「厄介者」を抱えることは不幸でしかないのかもしれませんね。
生まれ育った土地と家族を大事にすることは、なにも日本人にだけ備わった価値観じゃありませんし、良いことだと思います。
でもそれに執着するのはいかがかと思います。
厄介者ほど可愛いんじゃありませんか。
その世話をするのは楽しくもあり苦しくもあり、時にかけがえのないもので、時に地獄だったりする。だから葛藤が生まれるのでしょう。
そしてそれは家族が担うものという思い込みが、専門職の社会的評価を押し下げているという側面もありますね。
施設職員がもっとこの仕事に自信と誇りを持てたなら、この事件は防げたかもしれない、と想像したりもします。
欧米のようにロックダウンなどせずともここまで耐えてこられた国民性は誇れるものかもしれません。
本音と建前のあいだをかいくぐるように生きていくのはしんどい面もありますが、時にそれが独特の思いやり文化に映ることもあります。
憂いてばかりいても仕方ありません。
この国を地域を少しでも暮らしやすい場所にするために、あまり遠くを見過ぎず、一日一日できることを精一杯やるだけ、そんな風に自分に言い聞かせる毎日です。