「お盆休みですか?」と美容院の店主に聞かれた。
「うちはあまり関係がないんです」と答えると、「お仕事柄ですか?」と応じられたが、面倒だったので、「そうです、長い休みは取りにくいですね」と答えてその話題はおしまいにした。
このところ長いお付き合いを見直すことが増えている。
会社では税理士と社労士、保険会社を代えた。
プライベートではスポーツジムと美容院である。
付き合いが長くなると楽だ。
信頼関係があるから、説明が要らないし安心である。
でももう少しこうしてほしいなどという要望は言い出しにくいし、言っても通りにくくなる。
気心が知れているのはありがたいが、どんな相手でも程良い緊張感は保っていたいのである。
つまりやるべきことはきちんとやる、それが前提ということだ。
私には当たり前の感覚だが、それをないがしろにして、「長いお付き合い」を優先にするような「ヌルい」関係に胡坐をかこうとする人がいる。
ヌルい人間関係は一見すると和気あいあいとしていて平和に見える。
しかし問題が生じたときなどに異論を挟む余地がなく、前例踏襲で事を納め、新しいアイデアが生まれにくい。
七十五年前に、日本はアメリカや中国と戦争をしていたという事実をどう捉えるか、戦争をリアルに知らない私たちはいろんなものを見て聞き、想像するしかない。
過去に戦争をしていたということは、また戦争するかもしれないということに他ならない。
愚直に反省や反対の言葉を述べていればもう起きないというものではないはずだ。
「お盆休み」はすべての日本人に当てはめられるものではないが、大方は違和感もなく使う。
今年は昨年よりもさらに様変わりしたお盆だ。
生まれ育った田舎へ帰り、亡くなった方を含めた家族との絆を深め、同時に日本国民として戦没者を悼み、戦争について少し考えてみる。
とても良いことだと思う。
8月15日、カトリックではイエス・キリストの母マリアが亡くなった日とされている。
キリストの母マリアは8月15日に死んで天に上げられたと伝えられているのだ。
聖母の被昇天の記念日として8月15日はカトリック信者には大事な日だ。
長崎で宣教したこともある、アウシュビッツで同僚の身代わりとなったポーランド人のコルベ神父の名を聞いたことがある方は多いだろう。
8月14日はそのコルベ神父の亡くなった日である。
被爆した浦上天主堂のマリア像の頭部を見たことがある方は多いだろう。
終戦記念日にちなんでこれらの日が制定されたわけではないので、もちろん偶然だ。
偶然だが、そのおかげで平凡な日本人の私には想像の視野が広がった。
いろんなものはつながっている。
世界はつながっているという事実である。
平和の鍵は多様性を認めることだと言われて久しいが、多様性とは何もLGBTとか難民救済とか難しい話だけじゃない。
身近なところにそれは潜んでいるから目を凝らし、耳をそばだててみよう。
鈍感ではダメだ。