俄か「朝ドラ」ファンになったことは前に書きました。
あれからずっと続けて見ていますから、もう俄かじゃないですね。
すっかり生活の一部になった感があり、なんだか少し気恥しい気もします。
でも案外学ぶことが多いのです。
今の「おかえりモネ」は、東北の被災地を舞台に、その土地の人々のために何かをしたいと考える若者らを中心とする人間ドラマです。
「縁」というものをテーマにしていることは視聴者にも容易に分かります。
仏教用語でいうところの「縁」は私たちには親しみやすいですね。
このご縁を大切にしようという気持ちは、何もお天道様や仏様から罰を受けずとも自然と込み上げる感情です。
ただ残念ながらそれが長持ちしないことが多いです。
出会った初めは不思議な、運命的な何かを感じたのに、接しているうちにその何かが違うものに形を変えていってしまうなんてことはよくありますね。
「ニーバーの祈り」をご存知でしょうか。「平安の祈り」とも呼ばれています。
神さま、私にお与えください
自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを
変えられるものは変えていく勇気を
そして、二つのものを見分けるかしこさを
変えられないもので代表的なのは出生に伴うもの、親が誰で、どこで生まれ育ったという「血縁」「地縁」といったもの。
これはとても尊いものであると同時に厄介なものです。
これに翻弄されてしまっているという方も少なくないようですね。
自分ではどうしようもないものだから、翻弄されずに落ち着いて受け入れたいものですが、なかなか簡単ではありません。
親を恨んでも、土地を呪っても何も変わらないからといって、「前世」などに問題の端緒を見出そうなどとしては、カルトにしてやられるだけです。
だから変えられるものだけにフォーカスしましょう。
神様それを助けてください、というのがこの祈りです。
様々な依存症の当事者グループの集会などで用いられることが多いようですが、依存症でなくたって、こうした心持ちは大事なことではないかなと思います。
歳をとるほど、自らの経験値でものを図ろうとしてしまいますね。
時代が変わり、それが通じなくなっているにもかかわらず、同じやり方を続けてしまう。
それがハラスメントだとか言われても根っから身に付いてしまったものはそう簡単に修正できない。
政治家や老舗企業などのお偉方に多く、お気の毒と思えることも少なくありません。
「人を見てはダメです。神を見なさい」と、信仰を持って間もない頃に先輩に言われたことを思い出します。
「クリスチャンが真面目で誠実な人ばかりだと思ってはダメです。むしろ一般社会で生きていくのが難しいような方が多い。僕もその一人ですけどね」
人に注目すると幻滅するから、その人と共にいる神を見なさいというわけですが、それはすなわち、「縁」を感じるということに他ならないと思います。
この相手の方を愛し、この出会いを導かれた神を見るならば、大事にしないわけにはいかないだろうというわけです。
私たちの福祉業界も似たところがあると感じています。
他ではうまくやれなくて辿り着いたという方が意外に多い。
間違いなく私もそのうちの一人ですが。
でも、何も悲観することはないと思っています。
この社会で生きていくのが難しいと感じるのは、それだけ真面だということでしょう。
簡単だと思う人は、大事な何かをどこかに捨ててきてしまっているのじゃないでしょうか。
正義感が強すぎるとか、完璧を求めすぎるとか、おせっかいがすぎるとか、心配しすぎるとか、その過ぎる部分を少しでも変えられるように、共に祈ろうじゃありませんか。