私が原因だったのかもしれませんし、そんなのは全く見当違いなのかもしれません。
私はある意味彼女を特別扱いしなかった。がんばれとも何やってんだとも言わなかった。
彼女がいなくなってからも悪いことをしたと反省もしなかった。
お母さんは私に何かを伝えたかったのかもしれませんし、障害のある娘の人生の小さな起点にけじめを付けたかったのかもしれません。
今ならその時の私に向って、タチバナさんのペースで歩くように他の子らに頼むくらいがかっこいいぞ、と言ってやるのですが。
マイノリティの彼らは今どこでどんな風にしているのか、
相変わらず生きづらい世の中です。
そんな中、連日のように幼い子らが大人の手にかかって命を落としているのを見聞きするにつけ、なんて世の中だと嘆かないではいられません。
「ゆるしてください」と親への手紙残して衰弱死した5歳の女の子。
神様と天国で手をつないで歩きながら願うのは、悔い改めた両親の姿でしょう。
どうかこうした子供たちが犠牲にならずとも安心して暮らせる社会が一日も早く訪れますように、と祈ります。