今年最初のブログです。
今年は、平成から新しい元号に代わる記念すべき年ですし、私個人にとっても大きな変化の年になりそうな気がしています。
我社では一昨年から、仕事納めの日の忘年会をやめて、年が明けて最初の全体会議の日に新年会を行うスタイルに変更しました。
今年の会議では「目標設定」の勉強会に多くの時間をとり、会議の後の宴会は淵野辺事業所の近くの大鳥屋料理店さんを貸し切りにしていただいて、行いました。
「皆さん元気ですね~」とご主人が驚くような盛り上がりで、とても有意義な時間を過ごせたと思います。
宴会はさて置き、勉強会ですが、お世話になっている経営コンサルタント会社のスズキさんに講師になってもらい、目標設定の仕方と、横浜DeNAベイスターズを事例に、企業の成長について学びました。
そもそもなぜこんな勉強会をすることになったのかと言えば、もちろんその必要性を経営者の私が強く感じたからに尽きます。
この1,2年、大げさに言えば企業改革といったことにエネルギーを費やしてきました。
数年前に業績が悪化し、資金繰りに頭を悩ますようなことを経験したからです。
その原因の多くは私にあるのですが、それは自身の直感に頼る経営の限界でした。
ごく一般的に、何か大きなことをするときには十分準備をしてから取り掛かるものです。
計画を立て、その計画を実行できる目途をしっかりと立ててから始めるものです。
ところが若い頃の私にはそういうことがまったくできなかった。まあ何とかなるだろう、と持て余すエネルギーと行動力で突っ走ってしまう。10代では、友人を助けるべくヤクザの家に単身乗り込み「おめえ、いい度胸してんな~」とスカウトされたり、20代では、言葉の通じない外国へ金もビザも持たず不法就労したり、30代では、定職もないのに結婚して子供を作りシングルファーザーになったり、40代では、金も知識も信用もないのに事業を始めたり、とそんな具合です。
だから当然失敗も多い。失敗だらけと言ってもいいでしょう。それでも今こうしていられるのは、自分で言うのは憚られますが、メンタルの強さ、かなと思います。これはおそらく持って生まれたものでしょう。打たれ強い。経営者に必要なものは何かと尋ねられたら、「気の強さ」と答えますね。気の弱い人に事業など無理です。
小学生の頃、私は整列して前ならえをするときはいつも両こぶしを腰に当てるポーズでした。一番前。そのうえ「ふるさと」などと妙な名前の転校生ですから、いじられる。黙っていじられていればいいものを、冗談の通じない発達障害?ですから、やり返す。決して勝てないけれど負けもしない。その結果クラスの皆が口を利かなくなっても平気のへいさとでかい顔をしている。生傷が絶えない小学生でした。
それがいつもすったもんだの挙句何とかなっている。大人になって、そのすったもんだはかなり深刻な場合もあるのですが、やはり何とかなってしまう。その繰り返しが、いつの間にか「自分は大丈夫」という自信になっています。身近なものに言わせれば「なに、その根拠のない自信?」ということになるのでしょうけれど、それはもう揺るがないのです。傲慢なわけでも強がっているわけでもない。何か大きな力に支えられていることを経験から悟ったとでも言ったらいいでしょうか。どうやら神様は私のような出来損ないが好きみたいなんですね。
でもだからと言って何の努力もせずに安心していられるわけではもちろんありません。
失敗を糧にし、同じ失敗をしないように謙虚に学び行動してきたつもりです。
先日誕生日を迎え、50代も半ばに差し掛かってきました。
さすがにこの年になると、身の程を知らされますね。
妄想癖のある少年には、野球漫画の主人公か西部劇のヒーロー、はたまた明治維新の志士あたりが目標でしたが、50代の自分がこんな風に「普通」だとは想像もできませんでした。
その社長の勘による経営の他にも問題なのが、いつしか馴染んでしまった生温い企業風土というものです。
会社が成長して、社長の私はそれで月に行きたいとも思いませんが、会社が成長しなくてもいいというような企業風土は困りものです。
私たちの業界には、成長することや変化するのをあまり喜ばない傾向があることは事実でしょう。成長するより今のままでよい、今のあなたのままでよいのだと自己肯定感の薄い方々に向けて伝えることが仕事柄多いからかもしれません。
私は成長とは、本来の自分に立ち返ることだと思っています。
本来私たちはもっとよくできる力を与えられている。
その力を思い出すことが成長だと。
いつしか身に付いてしまった、簡単に折り合いを付けたりすることや、尻込みすること、高を括ること、そういう癖をやめ、自信を取り戻すこと。
今のままでよい、現状維持が目標です、ではどんな組織も腐ってしぼんでいくのじゃないでしょうか。
人が複数集まれば、そこには様々な葛藤や軋轢が生じます。
それがたとえ世界平和のための集いであってもそうでしょう。
それでも成長していくためにはどうすればよいでしょうか。
まず集う人が皆その組織の理念や目的を共有することは必須ですね。
そして目標を掲げるのはトップの役目です。
その目標を達成するために、集う人一人一人に役割が与えられます。
その役割はその人にふさわしいものでなければいけませんね。
その人が与えられている賜物と言いますか、力を存分に活かせるような役割がいいでしょう。
それをよく理解したうえで、それぞれがそれぞれの目標を高くあげます。
なるほどその目標を達成してくれたなら、組織の目標達成にも大きく貢献するだろうというものでなければいけません。
そしてそのそれぞれの目標を組織の皆で共有する。
達成のために、互いに励まし合ったり背中を押したりしながら努力する。
決して足を引っ張り合ったりしてはいけませんね。
誰かを蹴落としたり騙したりごまかしたりするのも厳禁です。
そしてその目標の達成度が適正に評価され、度合いによって報酬を得る。
いたってシンプルです。
でもこれがなかなかに難しい。
理想と現実のギャップに悩んだ日々でした。
できあがった考課査定表を眺めると、いかに自分が会社勤めの向かない人間であるかが分かります。でもこの会社に集まった皆には、自分ができないこれらのことを求めるというのだからおかしなものです。
人はたった一人で生きてはいけないという前提に立った時、大別すると、使う人間と使われる人間に分かれます。
私が使う人間かどうかはさておき、使われる人間にはなれなかった、それだけです。
そこを見極めるのは人生においてとても大事なことだと思います。
使われる人間になり切れなくて、去っていった人がありました。そういう人にはエールを送ります。
でも自分の居場所を別に求めて去っていった人には掛ける言葉はありません。
この人のためにできなかったことの数々を神に詫びるだけです。
目標は具体的且つ評価しやすいように数字で表されるものがいいですね。
皆にはそれを求めますが、あえて私は自分の目標をそうはしませんでした。
『自分らしく、自信を持ち、やりたいことをやる』
まるで中学生ですね、これでは。。
でも会社を始めて以来ずっと周囲の信用を得るために社長らしく振舞ってきたつもりでしたし、それはそれでよくやったと思うのですが、誤解されたりして裏目に出ることも多かったようにも思うのです。
信頼できる仲間も増え、経営のコツをつかんで軌道に乗った今は、もっと本来の自分に立ち返り、わがままにやってやろうと思うのです。
社員諸君、覚悟されよ。
それにしても、なかなか難しい目標ですぞ(笑