先日、50歳の誕生日を迎えました。
これまでに迎えた誕生日のうちで最も感慨深いものがありました。
50というものを一つの目安にして、目標を立ててきたからです。
それがかなっていることに驚きと喜びがあります。
私にとって、若いということは、それ自体が苦しみでした。
早く歳をとりたいと思いながら、その歳にふさわしい生き方をしているか、自問自答しながらやってきたつもりです。
40を少し過ぎたところの利用者さんが、焦っておられます。
「人生50年だから」「お金持ちになりたいから」と言って、金儲けのアイデアを話してくれたりします。
服薬の影響でか、うまくろれつが回りません。
そういう彼に、障がい者枠で一般企業に働くというのはどうかと尋ねると、「うーん」と腕を組んで考え込んでしまいます。
障がい者枠で働くには、まず休まないで働くだけの体力と生活の安定が求められます。
それに、上司の指示通りに働くということ。
これが意外と難しい人が多いのです。
しかし残念ながら、障がい者枠の仕事で、創意工夫や独創的なアイデアなどが求められることはありません。
与えられた仕事を、支持されたとおりに、毎日毎日続けていくことが求められるのです。
知的障害やある種の自閉症の方などには、むしろそうした決められた通りに働くというのが理想的だったりするのですが、
精神障害の方ですと、かなり多くの方が苦手とするところです。
この方は統合失調症を患って20年になるそうです。
患う前は企業に勤めた経験もあります。
ハローワークに相談に行って、レインツリーを紹介されました。
「この10年間、僕の時計は止まっていたんです」と言う彼の言葉が胸にこたえました。
人生50年で、残りも少ないから、障がい者枠でコツコツなんてことは考えられない、と・・・
今や人生50年ということはないでしょうが、その間に、どんな人の人生にも、必ず「転機」というものが訪れます。
その転機をモノにできるか、あるいは、転機が訪れたことにも気づかないか・・・
私にも何度か転機がありました。
新しいことや人との出会い、
失敗や挫折、
転機は案外そんなものと一緒に訪れます。
過去を悔やんでも仕方ありません。
病気や障害のある自分を受け入れて、前を向いて歩いていくよりほかないですよね。
そして最後は本人がどうしたいかです。
私たちができるのは、彼が自分の人生を自分でコントロールしていくのをサポートしていくことです。
支援されることを望まない人もいます。
それもわかります。
でも一方で、強い力に導かれたいと思うのも人間です。
私たちがその強い力になることはできません。
なってはいけないと思うのですね。
他の誰のものでもない、彼の人生なのですから。