私たちが作るクラフト雑貨に「額」があります。
この額を飾るのに、なかに何もないのは寂しいので、何を入れようかなと考えていたら、そうだと思いついたのが、星野富弘さんの絵と詩でした。
私たちのクラフト製作のコンセプト「なくても困らないけれど、あれば生活を豊かにするようなものを、一つ一つ丁寧に作り、それを心から愛してくれる方に届けたい」にぴったりだと思ったからですし、何よりその作品がすばらしいので、まだご存じない方に紹介できたらと思ったのでした。
ということで先日、群馬県みどり市の富弘美術館へ行ってきました。
ネットショップもあるのだけれど、わざわざ足を運んだのは、やはりもうどうにもどこかへ出かけたいという気持ちが強くなってしまったからです。
何カ月ぶりかの県外へのお出かけでした。
もう少し行くと、足尾銅山、そして日光へと続く道沿いの、山間の静かなところに美術館はありました。
星野さんの生まれ故郷だそうです。
小学生の団体がいて、入口の前で引率の先生から諸注意を受けています。
皆マスクをして、手指の消毒をしてから入場です。
がんばれ、子供たち。
行儀よく鑑賞できていましたね。
星野富弘さんの作品との出会いは、前のNPOでの事業所の頃に遡ります。
作品にラベルを貼るなどの仕事を一時請け負わせていただいたのです。
当時も感動したと思うのですが、あれから十年以上が過ぎ、それらの作品をもっと身近に、深い共感とともに見ることができたのはうれしいことでした。
あらためて星野富弘さんを簡単に紹介させていただきますと、
「詩画」という独自の表現方法を編み出した星野富弘さんは、1946年生まれ。群馬県勢多郡東村に生まれ、群馬大学を卒業後、中学校の体育教師になりますが、新任で赴任した直後の六月に器械体操のクラブ活動を指導中に首からマットへ落下。頚椎を損傷し、手足の自由を失ってしまいます。大学時代に登山やスポーツに明け暮れたように、体力に自信があって、からだを使う仕事をしたいとの想いを抱いていた彼に、からだが使えなくなるという悲劇が襲ったのです。
首から下が動かない、言葉も使えない彼はその二年後、筆を口に加えて「お富」という文字を書きます。横向きになって口で絵筆を噛みながら文字を書くという表現手段を得た彼は、「あ」という文字を書くのに五秒かかった喜びを語っています。五年後には、母が手に持っていたスケッチブックをベッドの横に固定する工夫ができて、母がパレットを持ち、絵に色がつけられるようになると、言葉を添えて手紙を描き始めます。彼の作品には花をモチーフにしたものが多いですが、お見舞いの花が友達だったという彼は、毎日花を見つめ、その色と形に感動します。自然の姿をそのまま写しとればいいと思い、絵とそれに言葉を添えた作品を作り続けます。九年目に、思いがけず展覧会を開くことになり、それまでに書き溜めた十冊のスケッチブックは、1979年春の展覧会で多くの人の目に触れ、深い感動を与えます。その年に退院した彼は詩画作家としての道を歩むことになります。入院中に聖書を読み、キリスト教の洗礼を受けた彼は、1981年には伴侶を得、母に代わって妻との協働で今も作品を作り続けています。
細く弱々しい茎に可愛らしい花をつけた「釣鐘草」という作品には、こんな文字が躍るように描かれています。
「むかし人は うつくしい音が 聞きたくて 鐘を作った すると鐘は 花のかたちになった」
これまでに多くの詩画集を発表されていて、私はそのすべてを鑑賞したわけではありませんが、口にくわえた筆でどうするとこんなに美しい絵と文字が書けるのだろうと、素朴な感動がわき上がってきます。
「どんなに美しい花でも、いつかは枯れてしまうけれど、絵はぜったいに枯れることはありません。もちろん、この花の美しさの千分の一も、わたしの筆ではかけないとは思いましたが、時間をかけて、いっしょうけんめいかけば、その心はつたわるのではないかと思いました。数個ある花を一日に一つずつ、ゆっくりとていねいに、のみできざみこむようにかいていきました。色は水溶性のサインペンです。色をつけ、その上をぬらした筆で、さっとこすると、やわらかな花びらの色があらわれました。バックは、ほそいサインペンの線で、一本ずつ布を織るように、うずめてゆきました」と著書の中で語っておられます。
そうして描かれた絵には、たしかに彼の草花への慈しみといったものが感じられます。
「悲しくて花を見れば 花はともに悲しみ うれしくて花を見れば 花はともによろこび こころ荒れた日 花を見れば 花は静かに咲く」つわぶき
「花は見れば見るほど美しくなっていくようでした。そしてわたしは、その草を芽生えさせ、ひらかせる自然の技に、おどろかずにはいられませんでした。空をとぶ鳥も、人も、きらびやかな服も、建てものも、いつかは土にかえります。その土のなかから生まれ、雨風にうたれながらもそだって、花をさかせた植物は、すばらしい調和をもっていると思いました。ちょうどよいところに花がつき、花に似あった太さの茎があり、ほどよいところから葉がでて。しかし、その葉は、花の色やかたちを、けっしてじゃましないようにひろがっているのです。わたしは、絵をとくにならったことはありません。色彩や構図といったものもわかりません。でも、このような花を、そのまま紙にうつしてゆけば、きっとよい絵がかけると思いました。神さまがつくったものならば、何も知らないわたしが、頭をひねってむりにつくらなくても、そのままでよいのだと思いました。絵で何かを表現しようとか、それを人にわかってもらおうとか考えなくても、花そのものが何かを語り、表現しているのですから。」
作品からは、彼のやさしさと強さがにじみ出ているように思いますが、その源となっているのは、信仰なのだろうなと思います。
「苦しくてどうしようもない時 いつもうかんでくることばがあった 神様がいるんだもの なんとかなるさ そしていつも なんとかなった」ヒメジョオン
「どんな時にも 神さまに愛されている そう思っている 手を伸ばせば届くところ 呼べば聞こえるところ 眠れない夜は枕の中に あなたがいる」春蘭
彼は最初、聖書を開くのにはずいぶん抵抗を感じたと言っておられます。
あいつは苦しくて、とうとうキリスト教という神さまにまですがりついたのか、とまわりの人たちに思われるような気がしてならなかったそうです。
「おみまいの人も毎日のようにきてくれて、わたしを、いろいろとはげましてくれました。その人たちの気もちは、とってもありがたく感じたのですが、心の底に鉛のようにおもたくたまっているさびしさや不安を、とりのぞいてはくれませんでした。たしかに、そのときは明るい気もちになり、勇気がわいてくるのですが、おみまいの人たちがかえってしまえば、やはり、いつものさびしいわたしに、もどってしまうのでした。それどころか、まえよりいっそう、さびしくなってしまうときもあったのです。人間が人間をなぐめることのむずかしさを、しみじみと思いました。」
そんな彼に、こんな聖書の言葉が目に入ります。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、私のところに来なさい。わたしがあなたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなた方も私のくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすれば魂に安らぎが来ます。私のくびきは負いやすく、私の荷は軽いからです。」
そして彼はこう思ったそうです。
「いまのわたしにとって、忍耐などということばはいらないのではないか。うごいていたころのわたしも、うごけなくなったいまのわたしも、おなじわたしなんだから、そのことをがまんしたり、歯をくいしばったりしながら毎日をおくっているなんて、へんじゃないか」と。
そういう彼が紡ぐ言葉はとてもポジティブです。
「この道は茨の道 しかし茨にも ほのかにかおる花が咲く あの花が好きだから この道をゆこう」野ばら
「新しい命一式ありがとうございます 大切に使わせて頂いておりますが 大切なあまり仕舞いこんでしまうこともあり 申し訳なく思っております いつもあなたが 見ていて下さるのですし 使いこめば良い味も出て来ることでしょうから 安心して思い切り 使って行きたいと思っております」プリムラ・メラコイデス
そして何と言っても、お母さまと奥さまの存在が大きいのでしょうね。
お母さまのご苦労は並大抵のものではなかったと思います。
そのお母さまへの想いはこんな言葉で表されています。
「誰がほめようと 誰がけなそうと どうでもよいのです 畑から帰って来た母が でき上った私の絵を見て「へえっ」と一声 驚いてくれたら それでもう 十分なのです」秋の野の花(よめな)
「神様が たった一度だけ この腕を動かして下さるとしたら 母の肩をたたかせてもらおう 風に揺れる ぺんぺん草の 実を見ていたら そんな日が本当に 来るような気がした」ナズナ
絵と詩以外の文章は奥さまによる口述筆記だそうですが、それについてはこんなことを言っておられます。
「といっても、文章になることばで話すということは、案外むずかしいものです。鉛筆をにぎっている妻の指先を見ながら、その指を自分の指と思って、文章を語っているのですが、すらすらと話せずに、つぎのひとことを、五分も十分も考えていることもあります。そのあいだ、妻は鉛筆の先を紙にあてて、じっと待っています。ときには、そのままの姿勢で眠っていることもありますから、たいしたものです」
重度の障がい者と生活を共にするのは、生半可なことではないでしょう。
それを選んだ奥様はすごいと思いますが、それにはやはり信仰が支えとなったようです。
「ふたりが見つめあって生活していくのには、あまりにも、たいへんなことが多すぎます。でも、ふたりが聖書という、同じものを目標に歩んでいくのなら、悲しみや苦しみのなかにも、神さまの愛を見つけることができるのです」
そして詩画集の終わりにはこんな言葉がありました。
「私にとって言葉は、歩いたり指をうごかすのと同じで、その使い方一つで毎日の生活が天国になったり地獄になったりします。
絵にそえた言葉は、そんな生活が生み出してくれた言葉です。ふさわしい呼び方がないので詩と呼んでいますが、私は短い文章くらいに思っています。
絵と文字という別のものを、一枚の紙の中に描いていくうちに少しずつわかってきたのですが、絵も詩も少し欠けていた方が良いような気がします。欠けているもの同士が一枚の画用紙の中におさまった時、調和のとれた作品になるのです。これは詩画だけでなく、私達の家庭も社会も同じような気がします。欠けている事を知っている者なら、助けあうのは自然な事です。」
まさに今の社会に求められていることではないでしょうか。
認めあう、支えあう、お互いさまということ。
スピードと成果が求められる世の中で、丁寧にものを見、言葉を紡ぎ、形にしていくことの大切さを教えられます。
コロナ後の生活様式や産業構造の変化などについて、もうコロナの前には戻れないなどとあれこれ語られていますが、そうでしょうか?
テクノロジーはさらに進歩するのでしょうけれど、本質は何も変わらないのじゃないかと思っています。
人は、移動し、集まって、交わりたい生き物です。
どんなことがあったって、人はそうしようとするのじゃないでしょうか。
過去もそうだったし、これからもきっとそうに違いありません。
惑わされないようにしたいものです。
「散ってゆく花の横に、ひらきかけたつぼみがあり、枯れた一つの花のあとには、いくつもの実がのこされます。人間が生きているということは、なんと、ひと枝の花に似ているのでしょう。」と星野さん。
東北の震災の後はしばらく制作が手につかなくなってしまったそうです。
「おれの描くものなんかちっぽけすぎちゃって、こりゃだめだなと」
しかし、その後、がれきの中から顔を出す草花の映像を見た時、このままでいいんだ、自分のできることをしようと、また力が湧いたとおっしゃっています。
今の私たちに必要なのは、毎日の感染者数や新しい総理大臣ではなく、やさしい絵や音楽、それに言葉なんじゃないかと思います。
何をのんきなことを、と叱られそうですが、星野さんの絵と詩を見ていると、そんな思いが確信に変わってきます。
「遠い国のことだけれど 戦争が起こり たくさんの人が死んで 戦争が終わった 庭に椿が咲いてる間に」椿
私の好きな花、アガパンサスにはこんな詩が添えられていました。
「たべられません あなたが美しく彩った 草花のほとんどは たべてもうまくありません でも人は それを庭に植えて こころのたべものにしています」
障がい者の人たちと一緒に庭を手入れし、作品を作っていく、それでいいんだ、とあらためて思いました。